日記

冷たい風が吹いていて、ちょっと寒いくらいな一日。昨日に引き続き、一歩も外には出ませんでした。
きちんとしたものを食べているかと言うとあまり自信はないのですが、毎日買い物行かなくても、まぁ何かしらあるものです。すごく安心なのが、いざという時用のお餅。これは台風の時に備えたものなのですが、あるとすごく心強いのですね。1kgのお餅。これがあればしばらく生き残っていられる感がすごいです。とても頼りがいがあるので、常備するようにしているのです。今回はまだ手は付けてませんが。

練習は快調ですが、午後からはかなりまったり。勉強(座学)を中心にやっておりましたが、ずっと同じ体勢でいると、腰回りに違和感あるものだから、ごそごそと体勢入れ替えます。寝転んでみたり、反対向きになってみたり。あまり集中出来ていなかったかな。身体はまだ、完全にはちと遠いです。

そうそう、今日SNSで目にしたちょっと怖い話。
今言われているソーシャル(フィジカル)ディスタンス。コロナがある程度終息しても、コンサート会場などでは、この習慣がしばらく残ると。そりゃそうですね、7月になったらもうすっかり大丈夫!なんて簡単な話じゃないですからね。しばらく尾を引くでしょう。
で、その場合、例えばホールでのコンサートの開催などの場合、人と人の距離を2mほど離すと考えると、満席の時と比べたらどの程度の収容人数になるのか...。

19%!

19%減、ではありません。今の19%になってしまうとの試算なのです。
うわ。これはとても恐ろしいですし、あり得ることですよね...。

隣り合わせで座るホールと、ジャズが演奏されるようなお店とは、またちょっとは違いますが(言うほど変わらないかな?)。ご想像の通り、これではとてもじゃないですが、営業としては成り立たないでしょう。興業主もミュージシャンも赤字です、人数もどんどん少なくなるでしょう、事前にリハーサルなんてもってのほか。

そしてこの事は、コロナ後のライブやコンサートのあり方、映画もそうでしょう。「鑑賞」というスタンスそのものが変化せざるを得ない事態になっていく事を意味していますよね。ちょっと大げさなのかもしれないけれど、それほどの急激な文化の変化が、もうすぐそこに来ているんじゃないかと思っています。

もちろん、器楽演奏というものは無くならないでしょうし、音楽の中身自体が激変する訳でもありません。ただ、音楽で収入を得るという行為が、途方もなく難しいものになっていく可能性が大いにありますよね。いや、すでになり始めていたのですが(ギャラ安いから、すでにリハ無し現場が多いです。ボランティアみたいなギャラに叩かれることも)。

ミュージシャンひとりひとりが、様々な選択を強いられる時代になりそうです。それもこれまでとは雲泥の強度を持った究極の選択まで含めて。すなわち、プレイヤー廃業、まで含めてです。

私自身を鑑みても、果たしてこの先どこまでもつのかはまったくわかりません。この先何年...どころか、まず、目先の(半年後)のことすら見えていない状態ですからね。

ただ、活動内容の方向性は変わるかもしれないけど、何ていうか、そのスピリットの部分はあまり変えちゃいけないと思うのですよね。これは自分の生き方そのものなのだから。どんな時代が来たってそう。
音楽をやりたい、これで身を立てていくにはどうすればよいのか?あの化け物みたいなプレイヤー達に少しでも近づくには、どんな経験を積んでいけばよいのか?考えることはあまり変わらないような気がします。ただ、やり方は常に変化し続けられる体勢にないと、時代にもってかれちゃう。いやだいやだ。もっとやりたいことある。

ネット主体の活動にシフトして、ライブよりも制作系の方がメインになるかもしれない。セッションホストはやってるかな?講師は続けられているかな?それとも、生活のために音楽とは違う何かを始めているかな?

正直、先は全然見えていないけど、スピリットはまだまだ持っています。燃えています。だから、きっと大丈夫です。

皆さんも、それぞれの立場で、スピリットを持って頑張ってください。

世界が一刻も早く平和になりますように!

-日記