日記

2か月ぶりに都内へ。夕方から馴染みの美容室行って、ガタガタになった髪の毛をトリミングしてもらい(笑)、年甲斐もなくまた髪を染めてまいりました。美容師さんたちはフェイスシールドやマスク。そしてアルコール除菌液で厳重にコロナ対策をなさっておりました。客である私にも、着けていったのとは異なる使い捨てのマスクが配られ、滞在中はずっとそのマスクをしているわけです。会話も控えております、とかなり徹底してます。

その後には、ラーメン屋で久しぶりの外食をしました。丸二か月間は外食は一切していませんでしたから、すごく不思議な感覚でした。人のまったくいないモスバーガー店内もですが。

ラーメン屋さんにももちろん入口には消毒液を完備、店員さんも厳重にマスクをしています。お客さんは意外と多かったですよ。

まぁ、そうはしていても人の流れがあるところには、当然リスクはあるわけですし、100%の予防などありえないわけです。可能にするとしたら、数か月単位の「全員自粛」なのですが、もちろんそれは国家の死を意味しますから出来ません。仮にそうして生き残ったとしても、その後に経済地獄がやってくるでしょう。経済による死者の激増も。


結局は、いつかはリスクを背負いつつ生活のために活動を再開せねばならない訳で、それが緊急事態宣言の解かれたであると認識している人間が多いと思います。私もそうです。これ以上の自粛はちょっと経済的に無理だし(たとえ給付金等で一時は生きながらえても、その先につながるものを作っておかないとすぐ死ぬ。という意味において)、もはやコロナはなくならないという前提の上に立って、では如何に生きていくかを模索する段階に来ていると考えているからでもあります。最近盛んに言われている「with コロナ」というやつですね。ちなみに、私たちの仕事は、自分で「生み出す」ことが必要です。たいていの仕事は自分で作り出すもので、向こうからやってくることはまれです。そして、たいてい仕事はすぐには生まれないです。

ただ、ここら辺の考えは人それぞれですよね。「いや、もう少し自粛をすればコロナなんぞなかったことになるくらい根絶やしにできるからまだ家にいろ」と信ずる人から、「アジア人は大丈夫だ。ヨーロッパみたいにはならないから、もう全ての制限を解除して普通の社会状態に戻すべき」とか考える人まで多様です。どれも答えは出ていませんよね。具体的で一貫した政府や自治体のガイドラインもないわけですし、感じ方も違います。経済状態によっても、そういった考え方の違いがあって当然です。

本日のセッションは10名程度の参加者。ソーシャルディスタンス、店内の換気、手指の消毒などに気を使いながらの営業再開でした。

皆が思い思いのバランスの中で判断し、でも間違いなく今後活動は拡がっていくわけです。そして中には罹患する方も(もちろん自分も含めて)。クラスターが発生するお店や病院、公共機関ももっと増えるかも。ただ、それは「過ち」ではないと思います。そもそも、どんなに注意深く予防していても100%なんてないのだから。


こんな状況下でコロナのある社会を作っていくのだとしたら、まずは今後コロナに罹患してもバッシングされない世の中にしていかなきゃいけないと思うのです。あっても良いのは「節度のある注意」。
今、ガイドラインを策定して営業を再開した店舗や業者に、仮にこれからクラスターが発生しても、何らかの対応策をとれば営業再開できるように自治体が導いてほしいのです。

皆の活動が再開されつつある中、これを止めるのは再度の緊急事態宣言しかないと思います。でもそれでもきっと無理でしょう。実効性は低いと思います。給付金ももう出ないでしょうし、いろいろ限界に来ていますから。

社会活動がもう止まれないとしたら、まずは何が必要なのかというと、コロナへの罹患を責めない社会の在りかたなのだと思っています。コロナはすぐにはなくなりそうもない。だから、それは「仕方のないリスク」なのだと周りが思えること、それが必要なのだと思っています。

少なくとも現在の私はそんな立場です。できる限り最大限の自粛はしたつもりです。でも今後は、リスクを背負いながらも、活動を徐々に再開していきます。それが私のバランスです。もちろんできる限りの対策はしたうえで、そのやり方は模索していきます。これは時に他人の考えとぶつかることにもなるかもしれませんが、答えは誰にもわからないはずですし、人によって正解の形も違うはずです。なので、これからはまた告知などは普通にさせていただくと思います。コロナのある社会で生き抜くために。私も実は、生きるために必死なのです。

世界が一刻も早く平和になりますように。

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