トレーニング

本日は用事があったのと、ちょっと身体が疲れているため、朝練はなし。休養日にしました。一番の用事は確定申告。無事行ってまいりましたよ~。

さて、最近ちょっと考えていることがあります。よく「ジャズミュージシャンは最低1000曲程度はメモリーしていなければいけない」とか言われます。いわゆる暗譜のことですが、この意味がちょっと分からなかったのですね。

それはつまり、そのくらい曲を覚えていないと、様々な現場での譜面の無い仕事をこなせない→結果仕事として食っていけないという実用的・現場的意味なのか。または覚えているくらいじゃないと考えながら演奏することになる。すると、ソロのクォリティなども落ちてしまうではないか、という演奏上のクオリティーの話なのか。どちらも言う人もいます。

ただ、私はこのどちらもなんか腑に落ちなくて、実はあまりメモリーはしていないのです。もちろん、演奏しているうちに覚えてしまった曲は100~200くらいはありますが。

もともとジャズファンというわけでもなかった私にとっては、覚えるのもまず曲を聴くことから始めなくてはなりません。上記の理由・目的だけをモチベーションに、「記憶する」ということに膨大な時間をかける気にならなかったのですね。そもそも私は、未知の曲への処理・対応力を磨きたかったのです。つまり他人のオリジナル曲とかにとっさに対応できる能力です。それには譜面を暗譜するよりも、その都度「読みながら」曲を演奏していくスキルの方が重要だと思っていたのです。覚えるよりもむしろ、毎回「初見」の練習をしたいくらいなのです。ちょっと違う例えになっちゃうかな?問題の解き方(コードの追い方)を勉強している時に、「問題文からすべて丸暗記してしまう」というのが解決法とは思えなかったのです。

また、譜面をみると演奏のクォリティーも下がってしまうとの意見にも、実は承服しかねるところもあります。どんなメモリーしたスタンダードでも、レコーディングの際には、どんなプロも譜面使うと思うのですよね。たとえ念のためにしても。譜面を置くことによってクォリティが下がってしまうなら、その行為こそそもそも矛盾なのではないか?とも。うろ覚えで構わないから、なんとなく曲が分かっていて、あとは譜面で細部を確認しながら演奏できれば良いと思うのです。だから膨大な時間を使ってまで、1000曲のメモリーはしなくても良い。要は演奏が良ければそれで良い。それが私のスタンスでした。

「でした」、と言いました。少し考えが変わってきたのです。いや、まだはっきりした何かを感じ取ったのではないのですが、なんとなく「覚える」ということにも、示唆に富んだ多くの意味があるのではないかと思い始めたのです。
少なくとも一流と呼ばれるジャズのプレイヤー達には、半端ないメモリー量があります。そこに何か因果関係があるのでないかと思い始めたのです。ただ単にジャズ系の師匠から頭ごなしに「覚えろ!」と仕込まれたから、という側面も無きにしも非ずですが(笑)、そこから得られるものも実は少なくないのではないか、時間をかけてやる価値があるのではないかと推測し始めたのです。

そこにまだ科学的な、はっきりとした理由はつけられませんが、おそらく「音感」に作用するのではないかと予測しています。音感の中でも特に、「メロディとコードとの関係」や「相対音感」、いわゆる音楽家としての「耳」がより鍛えられるのではないかと推測するようになりました。

とすると、自分にも今後あらたな作用を及ぼすかもしれない。特に耳が良いわけでもない自分みたいなプレイヤーにとっては、なおさら必要な訓練なのではないだろうか?そう考えたら、いても立ってもいられなくなりました。

というわけで、結果は正直わかりませんが、とりあえずやってみることにします、ジャズスタンダード曲の記憶作業。メロディとコード進行をセットで。一日一曲はちょいときついので、一週間に5曲ずつ。これを三年続ければ、今あるメモリーとあわせて1000曲くらいにはなるでしょう。その時自分にどんな変化が訪れているのでしょうか。本日から実験開始いたします!

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