宿題の範囲
午前中から4時間のスタジオ練行ってまいりました。さすがに4時間もあると、練習の種類をいろいろ持ち込まないと退屈するかな、と思いなんだかんだ準備していきましたが、結局やったことはいつもとほとんど変わらず。ただ、より緻密に、重箱の隅をつつくように。
没頭できましたけど、出来ない自分へのイライラも相当上がりました。ひとつひとつを突っ込んでやればやるほど、自分の穴の方が気になってしまうのですね。それにまともに向かい合って練習してましたけど、当然ながらそんなにすぐ良くなるわけでもないです。何度も何度もこういった練習を積み重ねていくうちに少しづつ改善していくものですからね。付け焼刃では意味がないのです、「いつでもそれが出来る自分」になるためのものですから。
ほんの数種類の練習だけで4時間使いましたが、それでもまだまだ足りない。あらためて果てしない道のりのまん中歩いているなと、ちょっと呆れます(笑)。あれもこれもとやっていたら、ほんとにどれも中途半端に終わってしまいそう。ウッドベースを弾かないこともそんな理由です。エレベ奏者としてのアイデンティティーの方が昔から強かったから、ウッドの練習も「エレベのため」でした。ところが、どちらも練習するとなると、時間なんかいくらあっても足りやしない。二つは別な楽器。私ごときの才能では、どちらかに絞らないとただの器用貧乏で終わるのが関の山。そう思ってウッドはもうやらなくなったのです。
ラテンもそう。もともとよく聴いてきたわけでもないので知らないのですが、ちょっと勉強しただけでいろんな発見があります。こりゃちゃんとやらないと、とよりコアな部分にまで踏み込もうとするも、いつもそこではっと立ち止まります。キューバにしろブラジルにしろ、それ以上立ち入るなら現地までいかなきゃダメ。より文化的なレベル(生活・言語・ダンスなど)にまで触れないと、とてもラテンが身につくようには思えなかったのです(今もそう)。ただ、そんな時間はないのです(少なくともそう感じていました)。ジャズの分野ですら中途半端なのに、これ以上あれもこれもというのはまずい。プロとして恥ずかしくない程度の研究にとどめ、あとはきっぱり線を引こうと思いました。そのくらいラテン音楽の世界は私にとっては深淵な世界であり、巨大なものなのです。
じゃあ、自分はジャズベース奏者なのかというと、そうでもないです。一番こうありたいという姿によく似たものがジャズにはたくさんありますが、そうではないです。私はあくまで「エレキベーシスト」でいたいのです。そして、やりたい音楽の究極はいつも言っているように「自分の音楽」なのです。不思議なことに、これはベースを始めた中学生の頃から変わっていません。私にとっての音楽の原動力は常にここにあるのです。私にとっての宿題はここにあって、すべての練習はこのためと位置付けています。
ちょっとクールダウンのために、そして自分自身への確認のために書いてみました。今日は休みだからもうちょっと練習しよっと。