日記

他人の音を聴く

台風は関東からは去っていきましたが、結構な風でしたね。夜中はちょっと怖いくらいの風の音でした。さらにまた25号が発生しているようです。こちらに来るかはわかりませんが、何にせよ異常気象を感じずにはいられません。きっと地球も変わっていってるのですよね、その原因はもしかしたら人類の存在かも。

 

そんな台風のさなか、たまに初心者セッションの中で感じる違和感について考えてみました。
それは「失敗しないように演奏する」ことに対する違和感です。真面目にきちんと演奏する方であればあるほど、こう考えてしまいがちなように見受けられます。きちんとしたジャズを演奏しようとの思いは悪いことではないし、人間的にはそれで正解でしょう(笑)

きちんと演奏する、と思うこと自体は悪いことではないのです。ただ、この思いが強すぎる方ほど、他人の音をガイド音程度にしか聴いておらず、自分的な正解、つまり自分のフレーズだけを「ちゃんと」弾こうとする事ばかりに終始する....という傾向があります。自分のことばかり気にしている冷たい人。他人と会話しながら推し進めていく音楽である「ジャズ」を演奏するためにはこれではいけないですよね。ジャズとは形式ではなく、会話そのものです。そして、共演者たちにはそんな感情とか、すぐ伝わってしまうんですよね。すると「あー、あの人は人の音聞いてないで自分のことばかりだから、何話しかけても無駄だな」となってしまいます。正直その方との演奏は楽しくはならないです。上手い下手じゃなく、そもそも会話主体の音楽に会話が存在しなくなるから。

これはベースソロのバックにとくに顕著に現れると感じています。すごく嫌なオーラというか、自分に対する無関心とか、負のエネルギーを感じることがすごく多いんですよね。あー、なんか後ろの人たち休んでるなーとか、よくわからないから適当にやってるんだろうなーとか。あ、怖がって音出せないから今オレたった一人になってるんだろうなぁとか(笑)、ソロとりながら考えてますが、その方たちの音楽への関わり方がよく見えてしまうんです。プロでも、休んでるような素振りとか見せる人も多いですが、何があってもいつでも戻れるという確信、相手(ソリスト)に対する信頼、そしてアレンジ的にここはベーシストひとりにさせたほうが面白い、という確信の元でやっているし、そもそも相手の音は確実に聴き、「理解」しているのです。

ジャズを始めた当初からずっとベースソロの時は「まぁ、そんなもんなのかな、なんか寂しいな、でも、結局自分がしっかりやればよいし、わかりにくいソロをとってる自分の技量が無いのが悪いんだ」と自分に思い込ませていました。一面にはそれもあります。でもですね、プロ同士のセッションとかこなしていくうちに、そうではないことがはっきりわかってきました。レベルが高い人であればあるほど、他人の音をものすごくよく聴いているのです。それこそ、写真家が対象の人間と談笑しながらもその内面をじーっと見つめるがごとく。これ、最初はうわって思いましたけど、やがてこれが普通なんだとわかってからは嬉しくなりました。自分のつたない演奏なのにこんなに聴いてくれてるって。そして即興のフレーズなのに合っていく快感。普段出ないようなフレーズとか、リズム.....お互いに高めあっていけるのです。スケールの分析なんかが必要なんじゃないです。そういった方々は、ソリストの「気持ち」を聴いているのです。うわーっと叫びたいのか、皆で盛り上がっていきたいのか、そっとひとり静かにメロディを奏でたいのか...を察しようとしているのです。そしてつかめたら、相手のフレーズと一緒にその先に行ってみたり、逆については行かずに自由に歌わせたり、とかの会話をしていくのです。

 

ジャズを演奏する楽しさってここにあると思っています。それには、皆が言っているように、とにかく他人の音(感情)を聴く。これがもっとも大切な事なのです。

 

 

あ、言い忘れましたが、私もドラムソロがよくわからないなぁとか思っている時期がありました。ワンコーラスドラムソロやってからまたテーマに戻る、とかね。実際わかりにくいソロもあったのでしょうが、初期の頃はやはり「タイム」だけで聴こうとしていました。拍ばかりを意識して(きちんと拍だけを守ろうとしていたのですね)、ドラマーの「声」に耳を傾けていなかったのです。ドラマーの演奏はたんなる打撃ではありません。もっと歌っています。奏でています。音程もありますよ、もちろん十二等分平均律にはおさまりませんが。それが分かるようになってからは、少々崩れたドラムソロでも、(ちゃんと歌っているドラマーであれば)、なんなく戻れるようになりました。やはり私自身の「聴く」という姿勢が足りなかったのですよね、最初は。

 

 

 

 

 

 

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